彼を見送った後俺はどうしても胸が苦しくなり近くの開いている個室に駆け込んで泣いた。
この胸の痛みや込み上げてくる涙の意味がようやく分かってくると少しだけ落ち着いて顔を洗った。
もう答えは決まっている。
こんなに悲しいのは俺に優しくしてくれたぶっきらぼうなあの人の申し出を断らなければならないからだ。
俺の為にあんな事言ってくれたし、あの変態グラサンと違ってこんな所で働いてる俺をちゃんと一人の人間として接してくれた。
帰り際俺を信じて嬉しそうに去っていった背中を思い出すと裏切るようで切なくてたまらなかった。
それでも俺はヨシュアを放り出す事なんて到底出来なかった。
この先ここで色んな変態のちんこを咥える羽目になっても、またレイプされそうになっても、
あのドラッグに逃げてしまうか弱い心を持つヨシュアの傍にいてやりたいと思った。
ヨシュアを更生させて自力で借金返せたら、ヨシュアと一緒に彼の店にでも行ってあげよう。
涙と一緒に出た鼻水を啜りながら時計を見るとここでグズりだしてもう一時間も経っていた。
ヨシュア、俺の事探してるかな...
ヨシュアに会ったら薬の事問いただしてみよう。
そう思って部屋を出てキャッシャーに向かうとそこに人の気配が無かった。
羽狛さんの姿も見当たらないし、このままじゃ給料すら貰えない。
仕方なく他の個室を当たって見ることにした。
しかし静まり返っている店内に人の気配は無い。
そういえばキャッシャーの奥は事務所になってるって言ってたっけ。
ヨシュアがそこから出てきて羽狛さんにじゃれているのを思い出し、俺はキャッシャーの奥へと入っていった。




何時からだろう、辛い事や悲しい事があると彼にとこうするようになったのは。
「おい、ヨシュアぁ、ネタ足りてないんじゃねーか?ノリ悪ぃなぁ」
こんな時にネク君を思い出して罪悪感に浸っちゃうなんて本当にネタ足りてないのかもね。
「ん...そうかもね...」
羽狛さんの上に騎乗位で挿入したままソファーの上に転がっていたガラスのパイプに透明な結晶を入れた。
綺麗な氷砂糖の様な悪魔の結晶。
何時からかすっかりこの悪魔に魅せられていた。
それをライターで炙って鼻から思い切り吸い込むと罪悪感もネク君の事もあの忌まわしいネク君の客の事も全部吹っ飛んでいった。
僕の中に流れてくるのはただ快感という感情だけ。
「そろそろ注射に変えないと効きが足りねぇだろ」
ここにいるもう一人悪魔がまた僕を誘惑する。
天涯孤独になった僕を引き取ってくれた天使であり、薬漬けにして風俗に堕とした悪魔でもある羽狛さん。
「僕痛いの嫌いだから注射は嫌だよ、それよりっ...早く続きしようよ!」
本当はどこかでセーブしなければならない事が分かっているからまだ焙りに留まっているのが本音。
「ハっ淫乱なNO,1だなぁ」
彼は狂いだした僕をあざ笑うと僕の腰を両手で固定して下から思い切り突き上げた。
僕は狂った様に喘ぎながら自らも激しく腰を振って羽狛さんを求めた。
「あっ!あぁっ...やだよっ、もっと、もっと!」
余りの快感に唾液を飲み込むのも忘れてしまい、いつの間にか羽狛さんの胸元に僕の唾液がぽたぽたと滴っている。
腰を振りながら自らペニスを自慰するとまだイってもいないのに頭が真っ白になっていった。
本当はこんな仕事すぐにでも辞めたかった。
この悪魔に騙された振りをしてお金を溜めて逃げようと思ってた。
でもそんな僕をドラッグで縛るなんて羽狛さんの方が一枚上手だったね。
僕の体はもうこの結晶無しではいられなかった。
いや、それよりも羽狛さんとのキメセク無しではいられないと言うべきかな...
このまま馬鹿みたいにドラッグとセックスに溺れて贅沢な暮らしをして人生も体もどうでもいいと思ってた。
それなのにネク君が現れるものだから...
まだ汚れを知らなくて震えながら僕の前に現れたネク君。
目を見て一目で純粋な子なんだなって分かった。
そんなネク君を見ていたら途端に自分が汚く見えてきて、僕とは正反対の彼が羨ましくて惹かれるのも一瞬だった。
無理矢理関係を結んだもののいつか僕をあの綺麗な瞳が軽蔑の眼差しで見るんじゃないかって怯えてばかりいる。
勘ぐりっていうのはドラッグの一種の副作用みたいなものだと思うけど...
ネク君までも羽狛さんの餌食になる前に早く仕事を辞めて欲しいけれど、そうしたら僕はまた一人きりになってしまう。
辞めて欲しいような、どこか一緒に堕ちて欲しいような、そんな葛藤が度々僕を苦しめていた。
それでも彼と一緒にいればなんだかこの現状から抜け出せるような夢が見られるんだ。
「あっ!やぁっ...はねこまさんっ...イっちゃうよ!」
「待ってろよ〜すぐ天国に逝かせてやるから」
羽狛さんは一端僕からペニスを抜くと僕をソファーに乱暴に突き飛ばしてバックから再び挿入した。
イきそうな根元を握って射精を阻止されてもどかしい快感が行き場を無くして体中をぐるぐると回っているよう。
僕はソファーの背にしがみ付きながら激しく繰り返される注挿を味わっていた。
そこから紡ぎ出される快感が僕を獣に変えていく。
「ああっ!やだっやだっ...はねこまさんっ...イかせてっ!おねがいっ」
そんな僕のお尻を羽狛さんが思い切り叩きながらもっとおねだりしてみろ、とサディスティックな事を言う。
「おねがい、だよっ...早くっ...はねこまさんのっちょうだい!」
すると急に根元が解放されて手で扱かれる快感に変わっていった。
「ああっ!!」
僕は狂った様に喘ぎながら羽狛さんの手の中に射精して同時に僕の中に羽狛さんの精液が注がれた。
「ハァ...ねぇ...足りないよ...」
「ったくこのシャブ中が。飽きねぇなぁ」
「そう調教したのは誰なの?」
「さ〜て誰だったかなぁ?」
ぐったりしたままソファーにもたれ掛かると事務所のドアが少しだけ開いている事に気が付いた。
入った時には確かにちゃんと閉めたはずなのに。
よく見ると誰かがこっちを見て...
「っ?!ネク君!!」
僕がネク君に気が付くとドアが勢いよくバタンと締められてぱたぱたと去っていく足音が遠のいていった。
ネク君っ!!何でこんな所っ!!!とっくに帰ったと思ってたのに!!
「あ〜あ、見られちまったかぁ、困ったなぁ」
「それは店長の威信に関わるから?それとも今後ネク君を調教出来なくなるから?」
「そんな怖い顔すんなよ、俺はお前以外囲う気なんてねぇよ」
この中年の言う事は決して信用できない。
へらへらとした笑顔の下には簡単に人を陥れる悪魔の顔を持っているのだから。
ネク君っ!まさかこんな所を見られてしまうなんて!!!
僕にとっての最高の汚点でもあり全てでもあるこの忌まわしい密会。
きっとネク君は僕の事嫌いになる、軽蔑する!
そう思ったら狂いそうになり、気が付いたら血が出るほど爪を噛んでいて羽狛さんに止められていた。




何だあれ何だあれっ!!
ヨシュアと羽狛さんがっ!!!そんな事ってあるかよ!!!
俺はショックで店を飛び出して忌まわしい繁華街を疾走していた。
俺には誰ともセックスするなって言ったくせに!!
愛してるってあんなにいったくせに!!
やっぱり全部遊びだったのか?!出逢ったばっかりで俺の事が好きだなんてただの自惚れなのかよっ!!
気が狂いそうな怒りやショックは次第に裏切られたという悲しみに変わっていった。
「うっ...」
さっき顔を洗ったばかりなのにまた涙で頬を汚してしまう。
暫く繁華街をさまよっていたせいでいつの間にか終電も無く、仕方なくタクシーを止めた。
昨日は胸をときめかせながら眺めた外の景色も今はとっても色褪せている。


家に帰ってから若干落ち着きを取り戻した俺は、ぐちゃぐちゃの頭の中を整理する事から始めた。
俺は多分今ヨシュアと付き合ってて、そのヨシュアは何らかのドラッグをやっていて、何故か羽狛さんと激しいセックスをしていた。
...こんなの、誰が聞いても呆れるし早く縁を切れって言われるだろうな。
一方で猩さんに何故か愛されていて、借金を一旦返してもらう変わりに店を辞めて彼に着いて行く、という提案を持ちかけられている。
何度もその二人を比較しても猩さんの方が明るい未来なのは確実だった。
それでも今一決断を渋ってしまうのはあんな場面に出くわしても俺はまだヨシュアの事を信じているからなのだろうか。
「…馬鹿だな、俺。」
こんな性格だから騙されて借金なんか背負うんだ。
他人なんて絶対に信用しないってあの時散々誓ったのに。
しっかりしろ、俺!
携帯に南師猩の名前を表示してヨシュアへの想いを断ち切る覚悟で通話ボタンを押した。
何故かメロディーコールがずっとサイン、コサイン、タンジェント!の繰り返しなのが気になるけど電話で話すのは初めてだったので緊張して携帯を持つ手が汗ばんでいった。
『...どーした///?』
「あ、あのっネクです!」
彼の声の後ろから騒がしい音楽とありがとーございまーす!というやたらハイテンションな複数の男の声が聞こえてくる。
もしかして仕事中だったかも!...本当馬鹿だな、俺。
「すいません、仕事中ですよね、また掛け直します。」
『あ〜!!待てっ!!気にすんな!お前らうるせぇ!!56すぞ!!』
彼がどうやら従業員に怒鳴ったらしく急にバックが静かになり家で電話してるのかってくらい静まり返った。
ホストクラブなのに黙らせて大丈夫なのか?
なんだか悪い気がして出来るだけ手短に用件を伝える努力をした。
「明日、何時でもいいから会えませんか?丁度俺の店定休日だし。」
『〜〜っ///!!!...あ?ま、まぁ空けといてやってもいいぜ///?俺は一応朝から次の日の早朝くらいまでならたまたま暇だぜ?』
それって丸一日...てゆーか泊まりコース///?!無理だぁ!!!
「あの、出来れば昼過ぎから夜ぐらいが丁度いいんですけど...」
『ああ?チっ、しかたねぇなぁ、空けといてやるよ!あの返事はOKって事でいーんだな?』
彼から改めて言われて心臓がどきりと大きく跳ね上がった。
もう今更迷う事なんかない、ヨシュアなんて!...ヨシュアなんか....
「...はい。」
震えた声で小さく返事をすると携帯からうおおお!という凄い叫び声が聞こえてきた。
『お前らっ!!ドンペリゴールド持って来い!!!...じゃあ明日2時にハチ公な!』
酔ってるのかな、凄いテンションだ...ホストって大変そうだな...
「分かりました!」
『遅刻したら犯すぞ!ヘクトパスカル!じゃあな!』
そう言って彼は一方的に電話を切ってしまった。
嬉しそうだったな、あの人が喜んでくれると何だか俺も嬉しくなる。
これでよかったんだ、きっと。
明後日には店を辞めて普通の生活に戻れるんだ、あの人と一緒に...
きっと彼は俺のことを大事にしてくれるだろうし幸せになれる気がする、でもそこにヨシュアはもう居ない。
って俺なんでヨシュアなんかの事!もう思い出すなっ!
これで良かった!と自己暗示でもかけるように何度も何度も自分に言い聞かせながらベッドに入った。
まだヨシュアの香水の残り香が漂う布団に包まりながら、いつの間にかその布団を抱きしめていた事に気が付いたのは朝になってからだった。




起きてから携帯を見るとヨシュアから何度も着信があり伝言が一件入っていた。
急に胸が痛くなって何度も消そうか迷っていたけれど、やっぱり消す事は出来ない。
しかし彼と会う前に伝言を聞く勇気も無かった俺はそのまま携帯を閉じて出かける仕度を始めた。


時間通りに来ないと犯すなんて凄い事を言うものだから時間きっちりにハチ公前に行くと、およそ昼間の街には似つかわしくない彼がやたらと目立っていた。
「チっ、ぴったりに来やがったな!」
「俺、遅刻はしない主義なんで...」
「その話し方ウゼぇ!俺はもうお前の客じゃねーんだから敬語使うな!次使ったら犯す!」
「はい...じゃなかった、分かった。」
昨日からやたら犯すを連発してるけど本当は犯したいのかな?まだ俺そんな勇気無いな///
「お前何か食ったか?」
そういえば起きてから何も食べてなかったっけ、言われてから空腹な事に気が付いた。
「食べてない、腹減ったかも。」
「好きなもん奢ってやるよ。お前何好きなんだ?」
「いいのか?!じゃあらあめんどんのしょうゆらーめん!」
俺の一番の好物だけどそういえば借金事件からまだ一度も行ってないな...
すると彼の顔が急に引き攣り出す。
え、俺なんか空気読めない発言したのか?!
「...あそこ経営してんの俺の親父」
「ええ?!ケンさんが?!似てねぇ!!」
「似ててたまるかっ!チっ、でもお前が行きてぇなら仕方ねぇな!行くか!あそこなら好きなだけ食ってけよ!タダだから」
常連の俺は店長兼オーナーのケンさんとすっかり仲良くなっていた。
世の中って案外狭いんだなぁ。
ケンさんの息子を俺がゲイの道に引き擦り込んだようなものだ、何だか申し訳なくて合わす顔が無いけれどあのラーメンの味は忘れられない。
二人で道玄坂まで歩いている途中もしかしてこれってデートなのか?なんて考えていたら、そういえば俺ヨシュアとはセックスまでしたのに一度もデートした事無かったななんて思っていた。
初めて家に来た日飲みに行くくらい付き合ってやれば良かった、なんて未練がましい事考え始めたから一人で首を横に振って必死でヨシュアの事を振り切った。


「いらっしゃい!って猩じゃねーか、めずらしいな友達連れてくるなんて!ってお前はいつもの!!」
「俺が連れて来たんじゃねーよ!連れて来られてんだ!」
「おじさん!久しぶりだな!俺いつものしょうゆ!」
久しぶりの大好きなしょうゆラーメンは格別だった。
「うん、美味い!」
俺が思わずがっついていると彼はそれを楽しそうに見詰めている。
何だか急に恥かしくなってしまって、落ち着いて食べる事にした。
「俺も子供ん時からウチのラーメン食ってっからお前が美味そうに食ってると気分いいぜ!」
そう言ってキラキラした目で俺を見る彼はこの上なく幸せそうだった。
でも俺はと言うと実はまだそんな気分になれず、やっぱりこの笑顔を見るとどこかまだ切ない気持ちになっていた。
その原因はやっぱりヨシュアで...
きっとその内慣れれば忘れるだろう、と再び自分に強く言い聞かせ今は目の前の彼の全てを受け入れようと心に誓った。


「はー、幸せだな!」
「ハッ!そんなに俺と一緒にいるのが幸せか?ゼタ嬉しいぜ///」
本当はお腹一杯しょうゆらーめんが食えた事が幸せって意味だったんだけどどうやら勘違いされてしまったらしい。
訂正するのも可哀相なのでそのままにしておいた。
彼の言う意味もあながち嘘ではないのだから。
これを幸せ、というなら幸せなのかもな。
「次どっか行きてぇ所あるか?無いなら俺様について来い!」
それってもう自分が行きたい所があるって言ってるようなもんだろ。
それでも彼が行く場所なんて想像もつかなかったので興味本位でついて行く事にした。
「...ここかよ?!」
「よっし!今日こそ勝つぞ!」
そこは昼間からド派手なネオンをチカチカさせて店の前にまで漏れてくる騒音を垂れ流しにしている。
「俺パチンコなんてやった事無い...」
「はぁ?んなしょぼいもんやんねーよ!スロットだスロット!俺が教えてやるから来い!」
昼間でも夜でもネオンの似合う人だな...
店内入ると煙草の煙と耳を塞ぎたくなるような騒音の中皆怖い顔をして各々一人の世界に入っている。
よくこんな音耐えられるな!
「音なんか気にすんな!打ち始めたら5分で聞こえなくなるぜ」
「ええ?!」
彼の声すらよく聞き取れないし、既に耳が痛い。
彼に案内されて座った台はリ○グにかけろ!だった。
ボクシングにかける熱い男達の漫画がギャンブルの台にされていて複雑な気分になる。
「取り敢えずこれで一回ビッグ引いてみろよ!」
手渡された一万円を金を入れるらしい場所に差し込むと彼が何かのボタンを押してバラバラと台のしたにコインが出てきた。
「それを適当に30枚くらい入れてひらすらレバーを叩いてボタンを左から打っていけ!しっかり当てろよ!ゼタ期待してるぜ!」
期待なんて言われても俺初めてだし...
言われるままコインを入れて同じ動作を繰り返していると急に画面が騒がしくなったり戦いが始まったりとハラハラしてくる。
アクションが起こる度に彼が隣で騒ぐからこっちまでなんだかわくわくしてきた。
「おおっ!!やべぇお前のそれゼタ熱ちぃ!!」
「えっ?何だ?どうすれば?!」
二人で竜児と剣崎のバトルを見ているとすごい必殺技で剣崎に勝ってしまった。
その瞬間彼はでかい声で叫ぶし隣のヤンキーには舌打ちされるしでびくびくしていると、勝手に彼がボタンを押してリールに7を三つそろえた。
「お前やっぱゼタすげえ!1000円でかかったぜ!」
「ええ?!本当か?!すげぇ!!」
その後また彼が叫んでヤンキーに舌打ちされての繰り返しで俺の台は大爆発した。


「スロットって楽しいな!」
「ああ、勝つとおもしれーだろ!」
結局俺は10万ほど勝って彼は数万程度負けたらしい。
元々自分の金で打ったわけでもないので10万円を彼に渡したがそんなはした金いらねぇと言われて突き返されてしまった。
俺にとったら一日分に近い給料だ。
ヨシュアといい、この人といい一体どんな金銭感覚してんだよ!
俺と彼はそれから買い物に行った。
「おい。ちょっとここで待ってろよ!」
モルコに入るな否や俺をその辺のベンチに座らせて彼はどこかへ消えた。
トイレかな?なんて思いながら何気なく携帯を開くといつの間にかまたヨシュアからの着信が3件ほどあった。
急に体が緊張して鼓動が早くなるのを感じた。
よく見るとまた伝言が一件入っている。
流石に気になってしまった俺は伝言を聞こうとしては止めてを繰り返し、もうここまできたら全て清算して綺麗さっぱり忘れよう!と決心して思い切って伝言を聞いた。
ピーっという高音の後に一件目のメッセージが流れた。
『...ネクくん、ネクくん...電話出てよ...嫌いにならないでよ、お願いだよ...ちゃんと全部僕の事話すから嫌いになるならそれからにして...』
そこでメッセージは途絶えてしまった。
搾り出すような掠れた声でそんな事を言われたら忘れるどころか逆に心配で仕方がない。
焦ってもう一件のメッセージを聞いた。
『ネクくん...もう僕の事嫌いになったのかい?....信じて貰えないかもしれないけど...僕ネクくんが本当に大好きだったんだよ?じゃあね...』
さっきのものよりも更にか細くて元気の無い声だった。
急に胸が苦しくて痛くて胸元の服をぎゅっと掴んでみてもそれは静まらない。
あの光景は思い出してもやっぱり腹が立つけれど、それ以上にヨシュアが心配でたまらなかった。
今日も気がかりで仕方がなくて、会えない時間が増すほどそれは薄れるどころか大きくなるばかり。
最後に見たあの時のヨシュアの空ろな瞳、あれが本当に大好きな人に抱かれる時の目なのかどうかは俺にだって分かっていた。
俺に向けられていたあの熱っぽい目は確かに俺にだけ向けられていて...
あんなに思いつめてまたドラッグなんかやっていないだろうか、憂さ晴らしで羽狛さんに抱かれたりしていないだろうか。
「...おい、おーい!大丈夫か?このヘクトパスカルが!」
「え?」
いつの間にか彼が戻って来て俺の隣に座っていたらしい。
「...大丈夫...」
頑張って笑顔を取り繕っても顔に力が入らなかった。
「...もう帰るか、疲れただろ?」
彼は俺の空気が変わった事を察してくれたらしい。
本当にこの人優しいな、その優しさが急に切なくなった。
あの時、彼の後姿を見送った時の様に胸が苦しくて詰まりそうになる。
今更こんなの許されないって分かっているけれど、もし許されるならば今すぐにでもあいつの所へ行ってやりたい。
「お前んちまで送ってやるよ!」
俺は彼に言い出せず、ただ俯いて家路を歩いていた。
彼もそんな俺にどう接していいのか分からずにただ黙って後をついて来てくれた。





夕日に照らされて伸びた影はまるで手を繋いでいるみたいに重なっていた。
実際は並んで歩いている訳ではないのに影達は実に幸せそうに着いてくる。
そういえば俺達あんな事してたけど手だって繋いだ事無いし、キスだってしてない。
色々な順番が違っていてもっと早くこの人と出会っていればきっとこの影達の様に幸せになれたのかな?
家に着いた頃にはもう日が沈みかけていて空は何だか悲し気な濃い紫色をしていた。
「そういえば、これ///や、やるよ!」
そう言って彼は俺に向かって小さい何かを投げた。
「!!これ?!」
「お前に買ってやったんだぜ///ありがたく貰っとけよ!!」
彼のくれた物は小さいスカルの指輪だった。
俺なんかより彼の方がよっぽど似合いそうなのに...。
さっき一人で買いに行ったのだろうか、指輪を選んでくれている彼を想像したら切なくて涙が出てきた。
「どーした!泣くほど嬉しいか?!」
涙は止まらない、止まるはずもない。
今日一日本当に楽しくてこんな人生どん底の俺でも普通の少年みたいに笑って遊んでいた。
彼がケンさんの息子だなんて驚いたし、初めてギャンブルやったりして一日中どきどきしたりわくわくしていたっけ。
こんな気持ち思い出させてくれて嬉しかった。
普通の恋人同士みたいで一時でも楽しい夢が見られて...
楽しかった今日を振り返ればますます胸は張り裂けそうになる。
いよいよ嗚咽まで漏らしながら本当に苦しそうに泣き出す俺に彼の表情も強張っていく。
「...うっ...ごめっ...俺っ、やっぱりっ」
すると彼の大きな手が伸びてきて殴られるかと思ったら俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なっ、泣くなよ!苦手なんだよっ泣いてるやつ!」
そう言えば仕事中に泣き出した時も慰めてくれたっけ、苦手な割にはあやすの上手いくせに。
一通り俺の頭を撫でた後、彼の腕が優しく俺を抱きしめた。
「...何で駄目なんだよっ!」
そう言って更に腕に力が篭る。
まるで離したくない、と駄々を捏ねる子供みたいに。
俺にはひたすらごめんごめんと泣きながら謝るしか出来なかった。
「あのシャブ中か?」
急に彼が俺の心中を的中させたので驚いて顔を上げてしまった。
俺ヨシュアの話なんてこの人に殆どしてないのに...
彼は勘が鋭いというか人の心情を察するのにやたらと長けている気がする。
「付き合ってんのか?」
彼は怖い顔して俺に問い詰めてくる。
思わず頷くしかなかった。
「またあそこで毎日おっさんのちんぽしゃくるんだぞ?!付き合ってる奴はラリっててお前それで幸せなのか?ハっ、とんだマゾだな!」
怒鳴りながら俺を罵倒していてもその腕は力強く俺を包んでいる。
「ごめんっ...うっ...俺っ、あいつのこと、ほっとけな...」
「....俺はお前がほっとけねーよ。このヘクトパスカルが...」
すると彼の腕から諦めたように力が抜けて俺を解放した。
「チッ、折角いい玩具が手に入ったと思ったけどもういらねー!帰ってシャブ中とハメてろ!」
俺には何も言い返す権利も無く、本来なら殴られてもおかしくはない。
でも彼はもう行けよ、とばかりに俺を突き放す様な事を言うだけでやっぱり最後まで優しかった。
「ごめん...でも俺あんたの事も本当にっ」
「余計な事言うなっ!さっさと帰れ!」
あんたの事も本当に好きだった、と言いたかったけれど当然俺に告白する権利は与えられなかった。
「ありがとう...」
最後に本心からそう言って俺はマンションのエントランスに向かった。
すると後頭部に思い切り何かをぶつけられた。
痛みは無かったので軽いものらしい、バサっと音を立てて落ちた封筒らしきものを拾った。
「それはいらねー!お前の好きにしろ!」
中を見ると通帳と印鑑らしきものが入っていて良く見ると俺の名義になっている。
訳が分からず中をみると一千万円と申し訳程度に50万ほど入っていた。
「何だよこれっ!こんなのいらないっ!」
咄嗟に彼が俺名義で口座と金を用意してくれたんだと分かり焦って彼に突き返した。
「あと、これも...俺もらう資格ないし。」
それと一緒にさっき貰った高そうな指輪も添えて。
「ああっ?!まだ俺に恥かかす気かっ!このヘクトパスカルっ!そんなはした金俺にとってはどーでもいーんだよ!それにお前にやったもん持ってても気分悪りぃだけだろーが!」
「でもっ!やっぱり貰えないっ!」
俺がしつこく突き返しても彼は触んなとか気持ち悪ぃとか言うだけで一向に受け取ってくれない。
するといい加減痺れを切らした彼が強く俺の肩を掴んだ。
目が本気だったから今度こそ殴られると思って固く目を閉じると予想に反して急に唇に柔らかくて暖かいものが触れた。
キスされてると分かったら驚愕して思わず持っていた物を地面に全て落としてしまった。
「んっ...ぅ///」
荒々しくて、だけど情熱的なキスはいかにも彼らしかった。
これが俺達の最初で最後のキスだなんて...
そう思ったらやっぱり涙が溢れてきて彼はそれを何度も何度も指で拭ってくれた。
「ハァ...どっどうして///」
唇が解放された頃には俺の心臓はばくばくだった。
彼はさっきまでの勢いはどこへやったのか恥かしそうに頬を赤くしている。
「...俺を振るからにはシャブ中をちゃんと更生させろよ!このヘクトパスカル///」
「で、でも///やっぱりこれは受け取れない...」
「馬鹿かテメぇは!!お前が何時までもあんな所で働いてたら俺が気が気じゃねーんだよっ!お前の為じゃなくて自分の為だ!!じゃあな!」
そう言って今度こそ彼は背中を向けて歩き出した。
俺は溢れる涙を堪えながらありがとうとまた囁いて今度こそエントランスに入っていった。


「...ちゃんと言えなかったけど、俺お前の事本気で好きだったんだぜ...幸せになれよ、ネク...」


遠くで彼が何か言っていたようだったけれどそれはやがて風の音に掻き消されてしまった。







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